【体験記】普通の20代OLが骨髄バンクのドナーになった話 |「やろう」と決意した理由

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はじめまして。
「さくらうみ」と申します。

私は数年前、骨髄バンクを通じてドナーとして骨髄提供をしました。
提供すると決意するまで「本当に自分がやるべきなのか」と悩み、決意した後も不安は尽きませんでした。
それでも、無事に提供を終えて普通の生活に戻った今、「やってよかったな」と心から思っています。
なぜなら、自分が誰かの命を救えたかもしれないという実感と、それが自信につながったからです。

これは、私が骨髄提供をすると決めるまで、そして実際に提供を終えるまでの記録です。
当時の自分の気持ちを思い出しながら、今の私があの時の経験をどう振り返っているかも交えて、できるだけリアルに綴っていきます。

このブログでは、こんな気持ちを抱いている方に向けて、私の体験をお伝えします。

  • 骨髄提供ってどんなこと? 実際の体験談を知りたい
  • 登録を勧められたけど、よく知らなくて不安
  • 提供って痛い?怖い?何をするのか分からない
  • 「もし適合通知が来ちゃったらどうしよう」
  • 「通知が来たけど、提供するかどうか迷っている…」

本記事では、
私が骨髄提供を「やろう」と決めた理由
について、書かせていただきました。

このブログが、誰かの背中をほんの少しでも押せたら嬉しいです。

やろうと決意した理由

自分にしかできないことだから

私はごく普通の会社員で、日々Excelと格闘したり、リニューアルされたばかりの社内システムに振り回されたりしています。
でも、そういった仕事は、私じゃなくてもできる。私が休んでも辞めても、誰かが代わりにやってくれる。
「この仕事、私じゃなくても別にいいんだよな」と思う瞬間が、正直たくさんありました。

でも、骨髄の提供だけは違いました。

私の骨髄を必要としている人にとって、それは私にしかできないこと
「これは、私じゃなきゃダメなんだ」
そう思った瞬間、迷いがスッと晴れていきました。

もちろん最初は悩みました。
「これ、私が有給休暇を消化してまでやるべきことなんだろうか?」と自問したこともあります。

でもその問いに対して、自分の中から自然と「やるべきだ」という答えが返ってきたんです。
その時は、何かが心にふっと降りてきたような、不思議な感覚でした。
きっと、自分の中で納得できたからだと思います。

誇れる自分でいたい

私は昔から「良い人でいたい」と思って生きてきました。
ナイチンゲールやマザーテレサの伝記を読むのが好きで、彼女たちのような“聖人”に憧れを抱いていたのです。

思春期の頃は、その気持ちが行きすぎて、八方美人になってしまったこともありました。
誰にでもいい顔をして、自分が我慢してばかり…そんな自分に疲れてしまったこともあります。

でも、大人になるにつれて、「言葉より行動」だと考えるようになりました。
トイレットペーパーが切れていたら迷わず替える。
ゴミが落ちていれば拾う。
電車ではお年寄りに席を譲る。
小さなことでも、「良い人」であろうとする姿勢は、自分の中で大切にしてきたことでした。

たとえ偽善だと言われても構いません。
私は「やらない善より、やる偽善」だと思っています。

そんな私のもとに飛び込んできたのが、骨髄提供の話でした。
正直、「これは神様が“良い人になりたい私”を試してるのかな?」と思ったほどです(笑)

骨髄提供は、当時の私にとって「ちっぽけでなんの取り柄もない私にもできる最大の社会貢献」だと感じました。
もし私がここで「提供する」という選択肢を選ぶことができたら──
きっとこれからも胸を張って、自分を誇って生きていける。
そう信じて、私は骨髄を提供することにしました。

人を助けたい

ここまで、自分自身の想いや動機についてお話してきましたが、
もちろん、患者さんを救いたいという気持ちも心の中にありました。

私は「名探偵コナン」が好きなのですが、作中で工藤新一がこう言っています。

「人が人を助ける理由に…論理的な思考は存在しねーだろ?」

正直に言って、これが全てだと思います。
人が人を助ける理由なんて、理屈じゃなくていい。
強いて言うなら、それは「人間に生まれたから」じゃないでしょうか。

骨髄提供を通じて命をつなぐということは、
ただ「骨髄というモノをあげる」ことではありません。
それは、その人がこれから出会うはずだった人、食べるはずだったご飯、味わうはずだった感情
その全てを取り戻すための手助けだと、私は気づきました。

もし私の骨髄が、その人のこれからの人生を照らす希望の一部になれるのなら。
その可能性が目の前にあるのなら、私は迷わず手を差し伸べたいと思いました。
これほど意義のある「命の使い方」が、他にあるでしょうか。

顔も知らない、名前も知らないその誰か。
でも、その人も私と同じように血が流れ、温かくて、呼吸をしていて──
きっと、誰かの大切な人なんです。

今振り返っても、あのときの自分はまだ「命」に対して真正面から向き合ったことがなかったように思います。
でも、「私の骨髄を必要としている人がいる」という現実を知ったとき、
初めて、命の重さを「自分ごと」として感じたのかもしれません。

命は有限で、奇跡の連続の上に成り立っている。
私が生まれ、生きて、今ここにいることも、当たり前ではなかった。
だからこそ、ここで命をつなぐ行動を選べることを、ありがたく思いました。

私を産み、育て、健康な体に育ててくれた両親にも、心から感謝しています。
この命は、私ひとりで得たものじゃない。

人を助ける。
それこそが、私という一人の人間が、他のどんな生き物でもなく、「人」として生まれてきた意味だと、私は思っています。

+α|レア体験をしてみたい!

主な決意の理由は上の3つですが──
ぶっちゃけ、好奇心もありました(笑)

なんでも、骨髄を採取する時は全身麻酔を使うと知った時…
「えっ、全身麻酔!?気になるかも…!?」みたいな、ちょっとしたミーハー心です。

人助けもできて、“良い人”にもなれて、おまけにレア体験もできるなんて──
もう、やるしかないじゃん!みたいな勢いもありました。

「話のネタになりそう!」というか、「人生そのもののネタになりそう!」っていうノリもあって。
実際、「ネタ」っていう言葉を“人生を豊かにするための経験や話題”って意味で使うなら、
そりゃもう、おおいにネタになっています(笑)

命の重さを軽んじるつもりなんて、これっぽっちもありません。
見ず知らずの「誰か」の命を救えるかもしれない――そんな骨髄提供。
それを、自分が痛みやリスクを負ってまでやるということを、ほんの少しの「好奇心」や、
「なんとかなるかも」という前向きな気持ちが背中を押してくれたのも事実なんです。

終わりに

以上のような理由で、私は骨髄提供をすることに決めました。
「ちょっと変わった経験ができるかも」なんて気持ちも、正直ありました。
だけどこの体験は、想像していたよりもずっと深く、あたたかくて──
次の記事では、「不安に感じていたことと、実際どうだったか」を書いてみようと思います。

ではまたお会いしましょう!


桜の海に浮かぶために。

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